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第35回「紫陽花を観に行って、記憶と景観デザインについて書いてみようと思った。」

全く草花の種類は分からないのだけど、観るのは、嫌いではないし各々の季節を象徴していて、時の流れを感じられるのも良いし、また観る事が出来れば嬉しい気分になる。


記憶には、意味記憶(知っている記憶)とエピソード記憶(覚えている記憶)の二つの種類がある。「梅雨時になると紫陽花が咲く」というのは、日本人の多くが知っている記憶で、「本土寺に妻と紫陽花を観に行った時に梅雨時だけど天気が良かった」というのは、私の覚えている記憶だ。このような、覚えていたいエピソード記憶をしっかり増やして行くことで人生も豊かに感じられると思う。

松戸の本土寺には毎年ではないが訪れているので、前に観た時の方が満開だったとか、誰ときた時はどうだったなどリピーター特有の記憶の確認がなされるし、それも楽しい。この経験を経て、転居したばかりの住まいの近くにも多くの紫陽花が咲いているのに気づくこともできた。また、本土寺は、景観デザイン的にも高低差をうまく利用して、日常的な“見え”の体験として、ビューとビスタを使い分けて鑑賞できるようになっているのも良い。


ビューとは眺める事、新古今和歌集の「田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」(山辺赤人)のような感覚。ビスタとは見通す事で、一つは遠近法による視覚認知,もう一つは枠(フレーム)を通して見通す場合で、後者の効果は借景という手法でもちいられたり、葛飾北斎の浮世絵版画「富獄三十六景」では,波間や桶の底を見通した富士山の象徴的効果として表現されたりしている。ただ、この二つの見方は、見る側がどのように感じて視点を置くかによって変わってくる。肉眼で感じるのが一番だけど、スマホで写真を撮りまくりながら、探ってみるのも面白いと思う。


 

著者プロフィール

nusa

工学系大学でデザインを教えています。様々なデザイン・研究・教育に関わって、今まで見てきた事、今見えそうに思えることなど、自分のメモがわりに書いて行ければ良いなと思ってます。


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