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  • あゆみ

第27回「ハレとケ」

お祭りなどのイベントはあまり得意ではありません。みんなが同じところを向いて、手をあげたり、声をあげたりする、いわゆる「ハレ」の日が少し苦手です。みんな自分のペースで楽しんでいるだけなんだと思いますが、端から見ると自分だけ浮いている気がするのです。そして、そういったノリに合わせられない自分がいることに、申し訳なさを感じてしまいます。ノリが悪い、冷めている、そんな風に思われているんだろうなと…(みんなが楽しんでいる様子を横で見ているのが好きです)



週末にLGBTQパレードが開かれていたというニュースを見ました。カラフルな横断幕や、色鮮やかな衣装をまとった人々が笑顔で歩いている姿が印象的でした。このニュースを見て、どうしてか、少しモヤモヤするところがあったので少し考えてみました。


パレードに参加している人々は、LGBTQについて理解を示している人であることはわかります。では、自分も含め、パレードに参加していない人々は、どのような人々なのでしょうか。当然、「パレードに参加していない人=理解を示していない人」とはならないですが、今回のニュースのように大きくメディアで取り上げられているのを見ると、「理解を示している人 or そうでない人」の二項対立的に捉えられてしまいがちだなぁと思います。実際は、その間のグレーな人々がいっぱいいて、多様な思いがあるように思います。そういった人々の“分かり合えなさも含めて分かち合う”姿勢が必要なんだと思います。


「分かり合うこと」と「分かち合うこと」の違いについては、MIMIGURIの小田さんのツイートがわかりやすいです。


また、一方で、こういうイベント、すなわち「ハレ」の日としての盛り上がりが、特別なこととしての認識を強めている気がしていて、なんかちょっと違うなぁ…と感じたりもします。もちろん言いたいことは伝えないと伝わらないので、こういう活動自体は大事なことだと思います。ただ、本質的には「ケ」になれなければ意味がない。「ケ」になるための「ハレ」なのでしょうか。「ハレ」から「ケ」になるために必要なことはなんでしょうか。


 

著者プロフィール

あゆみ

都内大学教員。博士(工学)。インストラクショナルデザインを中心に研究。

千葉県市原市出身。実家が農家。ラーメンが好き。


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